2022年イースターのごあんない

「最後の敵として滅ぼされるのは、死です」
(コリント人への手紙第一 15:26)

新年2023年1月3日に再放送された「NHK スペシャル『見えた 何が 永遠が 〜立花隆 最後の旅 完全版〜』-NHK」を視聴しました。解説には、「『人間とは何か』という問いに向き合い続けた立花隆さん。死に際し、遺体や膨大な蔵書を『無』にして欲しいと言い残していた」とありました(NHK HP https://www.nhk.jp/p/ts/K291JX1G6Z/ より引用)。“ 知の巨人”と言われる方の語られた言葉には重みがあり、人生の終わりを直視し続けた勇敢さを感じました。そして、「死」に打ち勝つ力はないのだろうかと思わされました。

「死」が入って来た

「死」という言葉が最初に聖書に出てくるのはアダムとエバに伝えた神のことば、「どの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ」(創世記2:16,17)の箇所です。それに対し、蛇の姿を取ったサタンが「あなたがたは決して死にません(創世記3:4)」と二人を誘惑し、禁じられた木の実を食べさせます。その時「罪が世界に入り、罪によって死が入り、(中略)死がすべての人に広がった」のです(ローマ5:12)。「死」は、神のことばへの不従順、自己中心と欲望を満たす罪に人を誘い、滅びに向かわせました。それを「罪の報酬は死です。」と言い、「しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23)とも伝え、「死」は全人類に広がりましたが、神の計画の中でキリストによって死を乗り越える永遠のいのちへの道が開かれました。

「死」に打ち勝ったキリスト

「死」の持つ意味は神との断絶です。最初の人、アダムとエバは、自分たちが裸であることを知り、いちじくの葉で腰に覆いを作り、神である主の御顔を避け、園の木の間に身を隠しました(創世記3:7,8)。罪を犯した二人は神との親密な関係、神と親しく交わり、知り、語る関係を自ら切りました。そして、自らの都合に合わせて神ではない物を神とし、感謝の心を失い、思いを虚しく暗くしました(ローマ1:21)。その様な人に対する神の怒りは明らかですが、キリストは十字架を負い、ご自分の身に神の怒りを受けて死に、身代わりとなりました。そして、三日目に死からよみがえられ、死を克服されました。自分の傍にあった木に雷が落ち、助けられた思いです。キリストの教会はこの救いの出来事の証人として十字架を掲げています。

イースターを通して伝える良い知らせ

イースターはキリストの復活の出来事を伝え、礼拝し、祝う復活祭です。それは、全人類に広がった「死」にキリストは打ち勝ったという良い知らせを伝えるものです。人は「死」で終わりではなく、キリストを通して、生きている時から神を「父よ」と呼ぶ親しい関係を持ち、教えられ、語り合う交わりの中に生きるいのち、即ち、「永遠のいのち」を表すのがイースターです。それ故、「しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」(Tコリント15:57)と聖書は伝えています。キリストによって与えられた永遠のいのちは、私たちをキリストの愛から引き離すことはできません(ローマ8:39)。

死んで後にキリストの栄光の姿に変えられます

キリストに信頼し、その方の救いを受け入れて生きる人は、生きている時に神との親しい交わりを持ち、死後にはこの私たちの卑しいからだがキリストの栄光の姿に変えられます。それが私たちのいのちであり、希望です。「最後の敵である死」はキリストの再臨と共に滅ぼされます。キリストを通して与えられるこの永遠のいのちと希望を受け取られますように。

キリスト教朝顔教会牧師 三浦春壽

(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

イエス・キリストの受難を思う夕べ

2023年4月7日(金)19時より

※配信も含め終了しました

聖書の御言葉と、讃美と、パイプオルガンの調べにより、イエス・キリストの受難を覚えるひとときです。(礼拝として行います。)

イースター礼拝

2023年4月9日(日) 午前10時半より ※YouTube配信もございます。

イースターを記念して祝う礼拝です。

配信URL: https://youtube.com/live/iPVPy4PwUHk?feature=share

※約1ヶ月間ご覧いただけます。