2017年イースターのごあんない - 永遠のいのち - ※終了しました

死は本当に人生のおしまいでしょうか。

「仁義なき戦い」などの映画やテレビの「遠山の金さん」などで有名な俳優、松方弘樹さんが亡くなり、彼の友人の一人が、「死んだらね、手の平にのるほどの一塊の白い骨になり、死んだらおしまいだよ。」と涙ながらに言われていたことが印象的でした。多くの人は、今も昔も人は死んだらおしまいだといいます。それ故、死なない薬を求めて世界中を探し回り、死のない世界を想像し、死から逃れる道を求め続けて来ました。しかし、みな必ず死にます。では、死は本当に人生のおしまいでしょうか?

イエス・キリストは、「これが永遠のいのちです」と言いました。

キリストのことばに従うことは、自己犠牲が伴います。自分の欲望を満足させようとせずに、自分が損をし、傷つキリストは、死んでも生きるいのち、永遠のいのちがあると教えました。ただし、その永遠のいのちは、肉体のいのちではありません。人の肉体はちりから造られていますから、死ねば骨になり、ちりに帰ります。では、「永遠のいのち」とは何でしょうか? 聖書は、「唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです」と言っています。つまり、「永遠のいのち」とは、キリストを通して唯一真の神を知ることにあります。神を知ることは、キリストが十字架の上で身代わりにさせられるほど、人を愛する神の愛と憐れみ、救いを知ることです。この神の愛を知ることは、神との信頼関係を意味します。神を知ることは永遠である神と結び合される故に、永遠のいのちを受けるのです。それは、キリストの十字架と復活に根差し、キリストがよみがえらされた様に、神に信頼する者も、日々自分に死に、キリストのよみがえりのいのちを受けるのです。そして、生きている時も、死の間際にも、死んで後までも、いつまでも神と共に生きるのが永遠のいのちです。このいのちはキリストによって全世界に与えられており、そのいのちを受ける唯一の道は、キリストを通して神を知る関係から始まる信仰によります。そして、神の子どもとして生きるいのち受けて生きるのです(ガラテヤ3:26)。

「永遠のいのち」を受ける人生は、望みを失うことなく、他の人を愛する者に変えられます。

「あなたがたは、…キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです」とあるように、キリストの復活のいのちを受ける時、どんな苦しみの時にも望みを失うことなく生きる者とされます。大阪市にある山田硝子店の山田正一社長は、ロシア文学の学生の時、病気になり、23歳で前社長の父に先立たれ、会社経営の重荷を負いました。義兄の放漫経営と裏切りによる膨大な借金を抱え、心身がボロボロになり、睡眠薬ー瓶を飲み干し、自死を企てました。幸い一命を取り止めた時、「いったん捨てた命。これからはエゴを捨てて、他人への愛に生きよう」と決意し、会社の再建に取り掛かりました。彼は言っています。私は本来死んでいるべき人問。50年生かされたのは奇跡です。自分の力ではなく、大いなる力がかぶさるようにして助けてくださったと感じてしようがない」と。あなたも、この春のいのちの息吹を感じる時、キリストにある永遠のいのちを受けられますように。

その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。 - ヨハネの福音書 17章3節 -

キリスト教朝顔教会牧師 三浦春壽

イエス・キリストの受難を思う夕べ

4月14日(金) 19:00〜20:30ころ

聖書の御言葉と、讃美と、パイプオルガンの調べにより、イエス・キリストの受難を覚えるひとときです。(礼拝として行います。クリスチャンの方には、聖餐式があります。)

イースター礼拝

4月16日(日) 10:30〜12:00

イースターを記念して祝う礼拝です。教会が初めての方もぜひお越しください。